3つの社会

Twitterでは収まりきらない

facebookは投稿する気にならないので初めてみました

 

こんばんは

 

のんびりいくよ

 

 僕はとあるメーカーの新入社員です。メーカーにはありがちだと思うんですが、製造ラインに入って研修中の身です。

 

 全くライン自体がクソとかそんなことはないです。緻密な作業は楽しい。ただ無言で細かい作業をやるからもの思いに耽る耽る。つまり色々ととりとめもないことを考えてしまいながら時間が過ぎ行くわけです。

 

いつもの通りしょうもない人間観察と自己完結なんだけど。文章にしておこうかと。

 

というのもこんな作業をするのも初めてだし、そこで感じたこと、同じ新入社員の人から話を聞いて感じたことを踏まえると、そこ(世界)にはたくさん社会があるなぁと。大きく感じたのは3つ。いってみよう!

 

[1つ目の社会について]

 

 ライン作業は基本1つのエリアに社員1人のパート数人てかんじ。この人たちの質によって眠いやら疲れるやら楽しいやら仕事の印象が変わるのだけれど。

なんせパートはおばちゃんばっかなんで、陰口の横行がすごい。すごいっていうかな、驚き。休憩とかでいない人の話すぐしちゃうからね。さっきまで言ってた人がもう陰口言われてるんだ。怖いわ。んでこれが1個目の社会。働くおばちゃんの社会。社員さんもおばちゃんだったりするけど、社員さんはあんまその会話に参加しないな。責任感の薄めなパートのおばちゃんが多いイメージ。あくまでイメージ。単に共通の話題として成立するものが陰口くらいしかないのかもとも思うけどね、何せ体感した社会。良い悪いとか無く。

 

[2つめの社会について]

 

同期の話。一番とっつきにくくて、広げにくい話。個人的に。

研修数グループに別れてるので、お昼休みにみんなでなんとなく集まって話す。「同期ウェーイ」って感じではないので、まったりと、その日集まった人だけで。大数人で話したり、2人だったり、ぼっちだったり。学生のようである。

そして今日、僕はある男性同期と2人で話していた。

彼曰く、

「昨日、彼女と電話して、1ヶ月ほど距離を置くことになった。」

そうだ。

それはそれは。どうやら将来のことを考えると今の相手ではどうかと不安になったようである。

まるで社会である。

将来のことを考えるなんて。今が楽しいだけではダメなのか。性欲満たす相手でいいだろ。しかし、彼の気持ちはもっと複雑なのだろう。そんなのは当事者でないとわからんのだろうし、僕が口を挟むことではない。

だが、同期として同じ環境にいるもの同士でも、脳内に浮かぶ悩みや思考、プライベートで置かれている立場、によって職がプライベートに及ぼす影響などなどが全く別であるところに、パーソナリティを感じた。

また、結婚という高次の社会活動(これは個人の見解だが)を見据えた勤労をしていることに、人間としての性能差を感じた。つまり僕は高次の社会活動に対する意欲がなく、人間的に劣っている。

このように個人を感じることでひいてはその集団である企業、社会を感じることになるのだった。

 

[3つめの社会について]

 

製造ラインならではの話。

今僕は医療機器の体内に入る本当に小さな部品の組み立てをしております。毎日何十個何百個も作るわけだけど、1人が一から十まで部品を組み立てるわけじゃない。成形、塗装する人もいれば、傷確認、研磨する人もいる。フロアには30人くらいの人がいて、それぞれの製品のそれぞれの組立工程を受け持っている。その中で僕は研修としてその中で比較的簡単でミスの少ない仕事をやらせてもらってるわけだ。

で、作業をしてる時に本気で思った話に移りたい。ぶっちゃけこんな機械なんて、製品なんて、数十年前には無かった。今では顧客(医師)や患者にとって在るのが当たり前の製品だけど、昔から在るわけでも無く、また、ポッと出で出来た製品でもない。ここにいる数多の人たちの生産活動によって出来たものなのだ。無くても困らない(そもそも従来の状態が当たり前だととらえられる)製品、そんなものを作り出してしまう、より便利なものを追い求める人間や企業、社会の意思を感じた。そして今、その生産活動に1人の働きアリとして加わっている。社会に従事している。それはまるで大きくもあるし、ちっぽけなことのようにも思える事実であった。

 

 

以上3つの社会でした。

 

あまりにも稚拙で成熟していない精神の元の成される思考なので、お見苦しかったことでしょう。ここまで読んでくれた方は、ありがとうございました。